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ALOHA!ハートバランス・コラム

ハワイ在住のウエルネス・カウンセラーMakikoのハートバランス・コラム

EP01 生い立ち&移住生活

私の友人が、Makiko Braxton 症候群と呼ぶ事があります。
それは一体どんな症候群かというと、一つの同じ場所に定着せず3~4年毎に住む場所が変わる事。 …というのも、幼い頃から父親が転勤族だった為です。

私は、神戸で生まれ、父の仕事の転勤ですぐに愛知県に移住。
その後2歳の時に、両親と2ヶ月の弟とマレーシアの首都クアラルンプールに引越し、ローカルの幼稚園にしばらく通った後、日本人幼稚園に編入。
あの頃のローカル幼稚園の記憶がうっすらまだあります。マレー語の国家や、英語の歌を今でも不思議と覚えているんです。 マレーの衣装を着て、マレーダンスをした発表会などの記憶もあります。

小学校に入る直前に日本帰国し、愛知県の小学校で1~5年生を過ごしました。 6年生になる直前、父親のマレーシア転勤が再び決まり、クアラルンプールに戻り、新しくなった巨大な日本人学校の校舎で6年生を迎えました。

マレーシアでの日本人中学校時代の素晴らしき良い思い出は、今でも深く私の胸に刻まみ込まれています。 規則があまりないにも関わらず、それでも規則に背く生徒や的外れなおかしいことをする生徒はほとんどいませんでした。
いじめもなく、みんな仲良くのびのびと学校生活を送れたのを覚えています。
あの学校はまさに一生懸命勉強し、且つ友達と楽しくめいっぱい過ごすせる理想的な場所でした。 親の転勤の関係で生徒の入れ替わりが多くあった学校だったので、新しく来る人を容易に受け入れることをまずそこで学んだ気がします。

あの時期に私という人間形成をする第一のきっかけがあったと思います。その大切な時期を遠いマレーシアという国で共にした友人は、今でもかけがえのない仲間達です。

そして中学校卒業後は日本に帰国、名古屋市内の市立女子校に帰国子女で編入。
マレーシアと日本の女子の大人っぽさのギャップにびっくりしたのを覚えています。 でもなんといっても適応性の高い私はああっと言う間に、マレーシアの自然児から日本の女子高生に変身してしまうのです(笑)。 今思うと、周りの環境や人間に上手く合わせてカメレオンのように変化する性質は、この頃から身に付けていたんですね。

高校卒業後、ずっと憧れていた東京での一人暮らしを実現。学習院大学に推薦入学し夢の東京生活スタートさせました。
しかしもう一つの夢はアメリカの大学に行く事だったのです。

その実現の話はまだ続きます。
そして、ここからもまだMakikoBraxton症候群、移住生活は続きます。

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